2013年3月6日水曜日

L.L. Bean 物語 通販会社紹介その①


通販カタログのパイオニアL.L.Bean.(エル・エル・ビーン)の歴史は今から約100年前に始まった。レオン・レオンウッド・ビーン(Leon Leonwood Bean)という狩猟好きなアメリカ人青年が自分の為に作った狩用の靴からL.L.Bean(エル・エル・ビーン)の物語が始まる。お気づきのように、L.L.Bean(エル・エル・ビーン)はこの若者、後に創始者となる彼の名前そのものなのである。

定番商品メイン・ハンティング・シューズ
アメリカ東北部、メイン州のオックスフォードヒルズで生まれた彼は、20代をセールスマンとして過ごし、時間を見つけては山に行き、大好きな狩りを楽しんだ。でも、その大好きな刈りの中で不満に思うことが一つ。靴である。革のブーツは重く、水を吸う。ゴム靴は履きにくい。1911年、そんな彼に転機が訪れる。メイン州で靴屋を営む兄から、手伝わないかと誘いを受け、後にL.L.Bean(エル・エル・ビーン)が誕生するフリーポートに移る。兄の店の棚に並ぶ靴を見ながら、自分で狩用の靴を作ることを思いつき、モカシンにゴムを貼り、革のトップを縫い付けたブーツを完成させる。履いてみると今まで履いたハンティングシューズの中で最高の快適さ。店に来る客、狩り仲間に薦めるとこちらも大好評。それが自信となり、1912年、メイン州が発行する非居住者の為の狩猟許可証の名簿を手に入れ、靴のカタログをそれらの名簿の乗っている人達に送り始める。これが、L.L.Bean(エル・エル・ビーン)の定番商品メイン・ハンティング・シューズの誕生であり、L.L.Bean(エル・エル・ビーン)の通信販売の始まりである。
若き日のL.L.Bean

今でこそ世界に名を誇るL.L.Bean(エル・エル・ビーン)だが、彼の事業は失敗から始まるのである。1912年、最初の注文は100足、そのうちの90足が不良品として返品された。革とゴムの縫い目がほどけてゴムが剥がれてためである。初めての客に誠意を示すため、全ての客に返金をした。これが今でも受け継がれいる無条件、無期限返品のL.L.Bean(エル・エル・ビーン)のポリシーの一つとなっている。そういった誠意が報われ、兄から借金をして改良を加えたハンティングシューズは順調に成長を続け、1917年にはカタログ発行部数が35000部に昇り、ハンティングシューズに加え、衣類、キャンピング用品、つり用具なども仲間入りし、アウトドア全般商品を扱うようになる。

無条件、無期限のポリシーからもわかるように、彼のお客様に対する誠意は特筆すべきものがある。彼にとって、「お客様は王様」なのである。「良い製品を適正価格名値段で売る。顧客を人間として対応すれば必ず大きな利益が戻ってくる」という哲学は今も受け継がれている。それは確実に顧客にも伝わり、工場の一角にある修理部門には、他の靴は履けないという熱狂的な愛用者からの修理の依頼が山のように詰まれているのである。それだけではない。1951年には、当時では画期的な年中無休24時間営業の本店を始める。第二次世界大戦後、家族揃ってキャンプをすることが増えだしたその時代、真夜中にメイン州フリーポートについても必要なものが買えるようにとL.L.Bean(エル・エル・ビーン)の製品を愛する人々を思って始めたことであった。その経営方針は今も変わらず、アウトレットに入っている店舗以外は全店年中無休24時間営業を貫いている。

1969年、創始者レオン・レオンウッド・ビーンは94歳で生涯を閉じたが、彼の自然と人に対する愛情、誠意を表す製品は孫のレオン・ゴーマンに受け継がれ、変わることはないだろう。 
                          流行通販の記事より
現在のL.L.Bean(エル・エル・ビーン)

昨年、100周年記念を迎えたL.L.Bean(エル・エル・ビーン)150万の製品を扱い、年間売り上げが1.44兆円に上る国際企業だ。2010年には50種類ものカタログを発行し、アメリカ全州50州と世界160カ国に配達され、11億人もの顧客から注文が来た。12月のクリスマスシーズンには一日でインターネットを通じて127000件の注文があるほどだ。

初の海外進出は1992年の東京進出、その後、直営店とアウトレット店をす日本国内数ヶ所にオープンする。2008年に中国に第1号店をオープン後、今では30店舗が中国国内に存在する。

2001年、孫のレオン・ゴーマンも社長の座を退き、今はクリストファー・マッコーミックが社長に就任。

アメリカの主要通販会社の一社である。L.L. BEAN

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